「呪い」って何なのよ
2024年12月10日
ダークソウル3で火の簒奪者エンドへ向かおうとすると、どうにもこうにも気になってくることがある。
それは「呪い」とは何なのか、ということ。
その最たる原因が『暗い穴』の存在だ。
暗い穴
不死人の証にも似た暗い穴
ぽっかりと体に開いている
その暗い穴に底は無く
人間性の闇が徐々に漏れ出し
引き替えに呪いが溜まっていく
それは決して消えぬ呪いの印であるが
かつて一人の、深淵から戻った火防女だけが
その呪いを癒したという
3の簒奪者ルートにおいてこの暗い穴は非常に重要な存在になってくる。
何せこれを下手に治療してしまうとその瞬間簒奪者エンドに向かうことは不可能になるからだ。
仮に治療せずとも、暗い穴が少ない状態で一定までゲームを進めると、やはり簒奪者ルートへは進めなくなる。
この暗い穴、ロンドールのヨエルに力を引き出してもらうと体に開くのだが、そのいかにも物騒なテキストに反して実はゲーム的なデメリットは何もない。死亡時に「呪い」というステータスの値が上昇するようになり、その「呪い」の値に応じて外見が亡者っぽくなるというただそれだけのものだ。
しかしそれゆえ、考察欲を掻き立てられる。
普通、ゲームにおいて何の意味もないステータスをわざわざ追加したりはしない。
この暗い穴によって追加される呪いとは、いったい何なのか?
実のところ、「呪い」というワード自体は1の頃から作中にたびたび登場している。
ただそれでも呪いとは何なのか、ということはイマイチ判然としない。
何故ならソウルシリーズに「呪い」という言葉が含まれるテキストは多数登場していても、具体的に「呪いとは~~のことである」と説明しているようなものはほとんどないからだ。
例を挙げるなら以下のような感じ。
呪腹の大樹のソウル(ダークソウル3)
古くより不死街には、あらゆる呪いが流れ着きもっとも酷いものは神樹に封じられた。
そして徐々に、その樹は変わっていったという。
緑衣の巡礼者との会話(ダークソウル2)
呪いをまとうお方
ソウルを求めなさい より強く、大きなソウルを
そして王の元へ それだけがただひとつの道です
でなければ、この地は貴方を呑み込むでしょう 一切の容赦なく
解呪石(ダークソウル1)
半ば頭骨が溶け込んだ灰色の石
カリム伯アルスターの秘宝の1つ
呪いの蓄積を減らし、呪死状態を解除する
人は呪いに対し無力であり
それを逸らすことしかできない
解呪石もまた、呪いを逸らす先でしかなく
それは人、ないし人だった何かなのだろう
うむ、不死街にはいろんな呪いが流れ着くことや、2の主人公は呪いをまとってることや、人は呪いに対して無力なことは分かる。
……んで、結局その「呪い」ってなんやねん!
思わずそう叫びたくなるところだが、しかし色々なテキストを探しているうちに、突然その疑問は氷解した。
ダークソウルシリーズには、「呪い」とは何かについてちゃんと説明しているテキストがあったのだ。
それが2の心を失くしたソダンとの会話、それも序盤でさらっと一度だけ聞ける以下の会話だ。
心を失くしたソダンとの会話(ダークソウル2)
ソウルというものをご存知ですか
私も詳しくは知りません
ただ、ソウルとは、命の根源に近いものであると聞きます
生きるもの、その営みのすべてにソウルがあると…
私たちが”呪い”と呼んでいるもの、
それの源は、そのソウルにあるのです
わかりますか?
生きること… 生きていること… それが即ち、呪いの正体に他ならないのです
私たちは不死、死ぬことのできない存在
どうしようもないんですよ、もう…
そう!「呪い」とは生きること、生きていることだったのだ!考察終了!
……というわけにはいかない。それじゃ疑問は色々と残る。
例えば、普通「呪い」といえば禍々しいものを連想する。
「生きること」なんてワードはむしろポジティブな印象を受ける言葉だ。むしろ逆に「呪いとは誰かを殺そうとする意志だ」とか「呪いとは死ぬことそのものだ」とか言われた方がまだそれっぽくて納得できるというものだ。何故生きることを「呪い」なんて呼ぶのだろうか。
しかしその後、色々と考えていくうちに、ソダンのこの発言は「呪い」という言葉の正体を正確に言い表しているように思えて来た。それもダークソウル2のこの場面における「呪い」だけでなく、シリーズ通しての「呪い」という言葉全ての正体を言い表しているように。
というのも、「呪い」を「生きること」だと定義すれば、ダークソウルの呪いがらみのいろいろなことに説明が付けられるというか、筋の通った理由付けが出来るのだ。
また、最初に感じた「なんで生きることを『呪い』なんて表現すんのさ」という疑問も、意外と説明がつくなと思えて来た。
そもそも、今更な話ではあるが、ダークソウルの世界の人たちは死ねないことに困っているのである。
あまりにも長い間死ねないせいで気が狂ったり、北の不死院にぶちこまれたり、3のDLCのゲール爺さんみたいに奴隷騎士として惨たらしい目にあったりしているのである。
奴隷騎士の頭巾
奴隷騎士に与えられる装束
その立場を衆目に示す赤い頭巾
かつて不死者だけが奴隷騎士として叙され
あらゆる凄惨な戦いを強いられたという
老いさらばえ、皮膚が焼け爛れ
骨が歪み、正気などとうに失っても
その戦いが終わることはなかった
そういうことを考えたら「死ねないこと」つまり「生きていること」を「呪い」と表現するのは、そうおかしくもない話なのである。
ソウルシリーズに出てくる色々な「呪い」を「生きること」、あるいは「生」と置き換えて考えてみよう。
例えば、呪腹の大樹。
呪腹の大樹の「呪い」を「生」と置き換えてみる。
となると名前からして「生腹の大樹」となる。
一見意味不明だ。
しかし、呪腹の大樹の全身には卵という生命の源とでも言うべき物体が付着している。
特に下腹部という生命の源泉的な部分には大量の卵が付着している。
第二段階になると、そこからいかにも生物的な腕まで生えてくる。
これはあの大樹の腹が「生きること」で満たされていることを表しているのではないだろうか。
また、呪腹の大樹のソウルのテキストにはこう記されている。
呪腹の大樹のソウル
力を帯びた、異形のソウルのひとつ。
使用することで大量のソウルを得るほか錬成によりその力を取り出すこともできる。
古くより不死街には、あらゆる呪いが流れ着きもっとも酷いものは神樹に封じられた。
そして徐々に、その樹は変わっていったという。
ただの樹木が、はじめからあのような卵まみれの姿だったとは考えにくい。
つまり、樹木が卵まみれになったのは、呪いが封じられたからと考えられる。
もし呪いが「死」のようなマイナスの存在であるならば、卵のような生命を感じさせる存在として現れるのはいささか不自然ではないだろうか。
つまり、呪腹の大樹には「生」が封じられているのだ。
他の例も考えてみよう。
2の緑衣の巡礼者は、何かにつけて主人公のことを「呪いをその身にまとうお方」と呼ぶ。
この「呪い」を「生」に置き換えるなら「生をその身にまとうお方」ということになる。
生、つまり死の反対。要するに不死だ。早い話が緑衣の巡礼者は「不死者さん」と呼んでいることになる。
2の主人公は当然不死者なのであって、これは何もおかしな話ではない。
また、ソウルシリーズには忘れてはならないうっとうしい状態異常がある。
呪死だ。
バジリスクや呪いの壺やシースといった連中は、こちらに呪いを蓄積させて石化状態にしてくる。
1では更に最大HPを永続で半減させるというとんでもない効果までついてきた。
解除するには解呪石を使うか、イングウァードさんに助けてもらうしかない。
さて、呪いが生であるなら、あの連中がやってきてることは一体なんなのだろうか。
生どころか、めっちゃえげつない死を与えてきてる気がする。
しかし、考え方を変えればこれも矛盾はなくなる。
呪いが蓄積すると、石化するわけだが、これはある意味では不死身になったとも解釈できるのではないだろうか。
さながら灰の湖にいた絶対に倒せない「石」の古龍のごとく。
そう考えれば、不死のウロコの研究にご執心だったシースが呪いブレスを放ってくるのも理解できる。
あれは研究の副産物なのかもしれない。
もちろん、ずっと石になってただ死ねずにその場に存在してるだけなんてそんなご無体な「生」はシースさんもお断りだろうから、研究が成功したとは言い難いだろうが、少なくとも武器にはなったわけだ。
また、この呪死状態になると、1の小ロンド遺跡にいた亡霊に攻撃が通るようになる。
これは呪い、つまり生を体に帯びた状態で攻撃することで、亡霊を死者から生者に引き戻し、それによって物理的な攻撃を与えられるようにする、と解釈できる。
(この辺ちょっと強引かもしれない。呪い=生ではなく、逆に呪い=死と考えても「死を体に帯びた状態で攻撃することで、亡霊という死者の世界へ入り込み、それによって亡霊にダメージを与えられるようになる」とか言えるし。まあ「逆が成立する」からって「最初のが間違ってる」とは限らないけども)
また、3の祭祀場の侍女は、こんなことを言う。
祭祀場の侍女との会話
…灰のお方、
もし婆めの品が足りなければ
どうぞ、遺灰をお持ち下さりませ
さすれば、この婆めが、遺灰から新たな品を用立てますじゃ
死を糧に、それが我らの呪いですじゃろう?
アハハハハ…ッ
「死を糧に、それが我らの呪いですじゃろう?」これは「死を糧に、それが我らの生き方ですじゃろう?」とでも置き換えるべきか。
充分に成立する文章と言えるだろう。
侍女は、遺灰から商品を生み出し、ソウルをやり取りして生計(?)を立てているのだから。
さて、この辺で冒頭の「暗い穴」に話を戻そう。
体に暗い穴が開くと、人間性の闇が漏れ出し、代わりに呪いがたまっていく。
呪いがたまるとプレイヤーは亡者になる。
「呪い」が「生きること、生きていること」なら、何故それが溜まると亡者になるんだ?という疑問が湧く。
「生」が溜まったんなら、むしろ亡者から遠ざかりそうな感じがする。
しかし、ここで重要なのは、亡者という言葉にはいくつかの意味があるということだ。
一つは文字通り亡くなった人、つまり死者のことだ。
しかしもう一つ意味がある。それは何かに強く執着している人という意味だ。「金の亡者」と言ったりする時の亡者だ。
試しに辞書を引いてみると、ちゃんと両方載っている。
亡者
1 仏語。死んだ人。また、死んでなお成仏できずに冥途 (めいど) をさまよっている魂。
2 金銭や色欲などの執念にとりつかれている人。「金の—」「権力の—」
つまり、暗い穴が開き、呪いが溜まって亡者化している状態というのは、後者の意味での亡者化と考えられるのだ。すなわち、欲にとりつかれている状態。ゲーム的に言えばめっちゃソウルを求めてる状態という解釈だ。
そもそも、ダークソウル3において、暗い穴は何をすると開いたのか思い出してみよう。
暗い穴は、ロンドールのヨエルに本当の力を引き出してもらう、つまり、無料でレベルアップしてもらうことによって開く。
ここでちょっとダークソウル3をネタバレ無しでプレイした人は初回プレイのことを思い出してみてもらいたいのだが、あの「本当の力を引き出す」という選択肢を見た時、なんかちょっと嫌な感じがしなかっただろうか?
嫌な感じは言い過ぎかもしれないが、「これ本当にやって良いんか?」的な懸念はなかっただろうか。
更にその後、試しに引き出してもらうと、暗い穴なんてもんがアイテムに紛れ込み、そのテキストにはやたら不穏なことが書いてある。しかも見た目がどんどん亡者みたいになってくる。
更に、塔の鍵を使って祭祀場裏手にある穢れた火防女の魂を入手し、それを祭祀場の火防女に渡すと「暗い穴を癒やす」なんて選択肢が出てくる。
こんな状況なら、例え今現在何か不都合が生じていなくても「よく分かんないけど何かヤバそうだから治しとくか……」と思うのが普通だと思う。
それでも治さない理由があるとしたら「これ治すとせっかく無料であげたレベル下がっちゃったり、もう今後力を引き出すことが出来なくなったりするかな?」的な考えだろう。
しかしそれはかなりのソウルレベル至上主義者、いわばソウルへの欲求がかなり強い人でないと出てこない発想ではないだろうか。
せっかくキャラメイクで時間かけて作った顔が亡者化しようが、なんか不穏なテキストがあろうが、強くなれてんならそれでええんじゃ!的な発想だ。
ここで、現実のプレイヤーの思考と、ゲーム内の暗い穴の設定がリンクする。
ダークソウルシリーズは、ゲーム的なシステムや、プレイヤーのメタ的な行動に対し、世界観的な意味を持たせようとしているフシがある。
例えば、普通のゲームでは何の説明もなく行われ、プレイヤーも特に疑問なく受け入れている「コンティニュー」というシステムに対し「不死者だから殺されても復活している」という設定による理由付けを行っているように思う。
あるいは、強敵に殺されたりしてうっかり大量のソウルを落とすと、ロストすまいと思ったプレイヤーは強敵そっちのけで全力でそれを拾いに行く。このある種メタ的な行動に対し「ソウルを落とすと『亡者』に近づき、ソウルを求めるようになる」という理由付けが行われているように思う。
暗い穴の設定もいわばそれに近いのではないだろうか。
怪しげな穴が体に開いて呪いとかいう不穏なステータスが高まってるのに、それでも更に穴を開けまくるような奴は、よほどのソウル亡者じゃ!という理由付けが、暗い穴のテキストによって行われているというわけだ。
この強烈な生きること、ソウルを求めることへの希求が「呪い」と称されているのではないだろうか。
だからこそ「呪い」とは「生きること、生きていること」と言えるわけだ。
また、亡者武器は運によって攻撃力が上がるという特性があるが、これも亡者の「ハングリーさ」というか「色々欲しいんじゃ!」的な欲求を表現しているのではないかと思う。
運を上げるとアイテムドロップ率が上がる。我々プレイヤーが欲しい武器等のために運を上げてマラソンを続けている状況など、はたから見ればまさに「アイテムの亡者」と言えるだろう。
ところで、暗い穴がたくさん開いていると、ロンドール勢は主人公の事を王とあがめ、火の簒奪をお願いするようになる。
アンリと契りの儀式を行って穴が8つ開いた状態までいくと、ロンドールのユリアをいくら攻撃しても敵対しなくなるため、見せかけだけの崇拝ではないはずだ。
それは何故か。思うに、ロンドール勢は死にたくないという人々と、それを導く人々の集まりなのではないだろうか。
だからこそ、暗い穴が開きまくって、呪いがたまりまくっている、死ぬのなんてお断りだぜ状態のプレイヤーをお手本として崇めるのだ。
ただし、これには疑問も生ずる。
ロンドールのヨエルは最初に出会った時、死を願っているし、暗い穴を5つ主人公に開けた後は命を落とすし、5つ開けた後で主人公が自らヨエルを殺害すると礼を言うのだ。
また、ユリアと最初に出会った時も、ユリアはヨエルの死体のすぐそばで、主人公に対し、ヨエルの魂を救ってくれたことに対し礼を言う。
ロンドールのヨエルのセリフ(初回)
…オオッ…
どうか、私に死を。私の枷を外したまえ…
…オオ…オオオッ…
ロンドールのヨエル殺害時
…ああ、ありがとうございます
我らの王よ…
ロンドールのユリアとの会話
…やあ。貴公、ヨエル殿の主だな
私はロンドールのユリア。ヨエル殿の友人だ
…貴公は、彼の魂を救ってくれた
ありがとう。友人として、礼を言わせてくれ
ロンドール勢が死にたくねぇ勢ならば、何故「どうか私に死を」と願ったり、殺害時に礼を述べたりするのだろうか。
その答えは、厳密に言えばロンドールの人々は(というか亡者は)単に無条件で死にたくないor死ねないのではなく「何かやりたいことがあり、それを為すまでは死にたくないor死ねない」人々だからなのではないだろうか。
つまりヨエルの「どうか私に死を」という願いは「どうか私の目標を達成させてくれ」という意味だと言える。
要するに、未練に満ちた人々、それが亡者なのだ。
ヨエルのケースで言えば、主人公の力を引き出して、暗い穴が開いたことを確認することこそが、ヨエルのやりたいことだったのだ。
だからこそ、穴を5つ開ける前にヨエルを殺害すると、ヨエルは礼を言わないのだ。
また、そう考えると、ユリアがアストラのアンリやヴィンハイムのオーベックを亡者と呼ぶのも理解できる。
特にオーベックは明らかに外見が亡者っぽくないのに、どこが亡者なんだ?と思った人も多いだろう。
ロンドールのユリアとの会話
ああ、貴公。ひとつ、伝えたいことがある
…ヴィンハイムのオーベック、あの者は不穏だ
あの者は亡者、そして、自ら亡者の王たらんと考えている
放っておいても、何れ貴公の敵となるだろう
…であれば、王自らの手で誅したまえ
それがまた、貴公の王たる証しとなるだろう…
3のNPCの中で、アンリとオーベックは明らかに『目標』を持っている者たちだ。
その目標とは、アンリはエルドリッチの殺害、オーベックは魔術の探求と思われる。
つまり、亡者と呼ばれる要件は、顔がミイラっぽくなることではなく、何かを求めていることなのではないだろうか。
逆に、外見が明らかにミイラっぽいのに、亡者だとはみなされないこともある。
1の心折れた戦士との会話などがそれだ。
心折れた戦士との会話
…あんたその顔、まるで亡者じゃねえか
…もっとも、亡者になっちまった方が気楽かもしれないけどな
…ハハハハハ
「まるで亡者」ということは、実際には亡者ではないということだ。
それでも外見だけで「まるで亡者」呼ばわりされるからには、ほとんどの亡者は外見がミイラ化している傾向にあるのだろうが、完全にはイコールではないというわけだ。
そんなわけで、ロンドールの人々は、というか、亡者は、何かやりたいことがある人々だと考えられるわけだが、そんな人たちなら、火継ぎを望まないのも当然だろう(火継ぎ自体がその人のやりたいことである場合を除く)。
火が燃えている状態では、寿命が来たら強制的に死亡してしまうようになるし、ソウルは燃やすぐらいなら自分たちの力にした方が何を目標にしてるにせよ、その目標の達成に近づけるだろう。
さて、火継ぎを望まないといえばカアスだ。
ロンドールは、黒シリーズやダークハンドやユリア死亡時のテキストから見るに、カアスの影響がある国なのはまず間違いないと思われる。
黒のドレス
ロンドールの黒教会、三人の指導者たちの装束
喪装にも似た漆黒のドレス
彼女たちは世界蛇の娘であり
黒教会の創始者としても知られている
すなわち亡者の救い手として
ダークハンド
亡者の国ロンドール独特の業
世界蛇の遺産であるともいわれている
おぞましい吸精を行い、特殊な盾ともなる
また両手持ちすることはできない
ロンドールのユリア死亡時
カアス、貴方の遺志を…
カアスは今一つ本音が見えないところがある(フラムトもだが)。
口では人の味方っぽいことを言っているが、ウーラシールの人を唆してマヌスを掘り起こさせ、ウーラシールをえらい目に遭わせている。
ゴーのセリフ
貴公も、おそらくは目にしているだろうが
友アルトリウスを蝕んだ深淵の闇は
いまやこの国、ウーラシールを飲み込もうとしている。
…おそらく、滅びは避けられまい。
だが、たとえ、闇の蛇に唆されたとして 彼らは自ら望み、あれを起こし、狂わせたのだ。
…滅びは自業というものだよ…
しかし、好意的に解釈するならば、カアスは目的の善悪に関わらず、何かを強烈に為したいと思う人(≒呪われてる人)が好きなのではないだろうか。
マヌスはウーラシールの宵闇に対して強烈な執着を見せていた。時空をぶち破って未来の宵闇を過去に引きずり込むほどに。
カアスはそんなマヌスに、目標を達成させてやろうとしていただけなのではないだろうか。(宵闇&ウーラシール民からすればえらい迷惑だが)
つまり、ウーラシールを深淵に沈めたかったのではなく、マヌスを起こすことが目的だったのではないか。
何故なら、カアスの遺志を継いだユリアとロンドールは、火の簒奪をこそ目的としていたが、どこかを深淵に沈めることは目的としていなかったからだ。
主人公がファランの深淵の監視者を殺したのは、間接的に深淵を広める行為と言えなくもないが、それはどちらかと言えば火継ぎ勢(エンマやルドレス)が望んでいたことで、ユリアやヨエルは直接的に求めていないし、もし本気で深淵を広めたいならカーサスの地下墓地辺りで、もうちょっと何かやらせているように思う。
深淵があふれ出てるいかにもヤバ気な頭蓋骨型の盃(in覇王ウォルニール)とかあったのだから。
(まあ、白教の信仰や神族の存在が1の頃と比べて2や3では色々忘れられているように、カアスの教えや遺志も長い年月の間に歪んで伝わっちゃっただけみたいな可能性もあるが……)
……さて、そんなこんなでそろそろまとめると。
・「呪い」とは「生、生きること、目標をもって生きようとすること」
・「亡者」ってのは文字通り「亡くなった者」のことじゃなくて「何かをめっちゃ欲してる人」のこと
・カアスは深淵フェチというより欲深フェチ
そんな感じ……かもね!